新サイト用

歴史・民話・昔の写真歴史函館戦争
~目次~
<福島での戦闘にいたるまで~戦闘前の福島と海陸応酬>

<知内夜襲と福島での攻防>
<御用火事と吉岡峠>
<松前城落城と脱走軍活下の松前・福島(1)>
<松前城落城と脱走軍活下の松前・福島(2)~脱走軍活下の松前・福島(3)>
<福島・木古内の戦いと箱館戦争終結>
余談:毛利秀吉と法界寺
◆余談:毛利秀吉と法界寺◆

毛利秀吉という人物はご存じでしょうか?

彰義隊という一隊に所属し、美男子で吉原・稲本楼の花魁(おいらん)の小稲という女性と浮名を流したことで有名な人物です。

箱館戦争で蝦夷地(北海道)へ渡海。しかしここ福島町で、敵の銃弾を受けて戦死してしまうのですが、

彰義隊頭取改役(しょうぎたいとうどりあらためやく)寺沢正明が残した『幕末秘録』に法界寺付近の戦闘の様子とあわせ、

毛利秀吉の戦死の状況も細かく書かれていました。

毛利秀吉は真っ先に駆け出して、自分こそ今日の一番乗りだと大隊旗を打ち振り、一(むち)高く挙げて、

まっしぐらに敵の陣所と聞いていた某寺の門内に乗り入った。 駿馬は(たてがみ)を振り立てて、夜が明ける頃の清風に

一声高く鳴いた。

寺の門は開かれて、見渡すと、後ろの山には(まき)が所々に積んである。しかし寺門は、ひっそりと静まっており、

更に敵らしき人影もない。敵は早くも逃げたか・・・浅ましの弱武者たちよ・・・。と呆れてしばらく茫然としていると、

不意に彼の後ろに積まれた(まき)の陰から轟然(ごうぜん)切って放たれた百(もんめ)目玉の敵の銃弾がいきなり飛んで きて、

毛利秀吉は胸の中央をものの見事に射抜かれ、倒れた。

あわれ惜しかり勇士の一人、一言も叫ぶことができないまま、敢もなくどうと馬より落ちたのであった。』

(毛利秀吉は、誰よりも早く敵の陣所と聞いていた法界寺に入ったのですが、寺の門は開かれており後ろの山には

所々に薪が積んでありました。

しかし、寺の中はとても静かで、敵らしき人影もありません。

彼は、「敵はもう逃げたのか」と呆れてしばらく茫然(ぼうぜん)としていたのですが、油断していたところを狙われました。

不意に後ろから、敵の銃弾がいきなり彼に向かって飛んできたのです。

その銃弾は、彼の胸の中央を貫き、一言も叫ぶことができないまま、馬から落ちて亡くなってしまいました。)

この毛利秀吉の墓は現在も法界寺山側の一偶に建っています、これは福島の戦い後、

明治2年4月まで駐留警備(ちゅうりゅうけいび)に当たっていた脱走軍の会津遊撃隊付属隊(あいづゆうげきたいふぞくたい)(諏訪常吉隊長)が建立(こんりゅう)したものと思われます。

参考文献:福島町史 通説編(上) 第二巻
広報 ふくしま より
画面の上へ戻る
 
 ◆観光協会概要  ◆このサイトのご利用について  ◆お問い合わせ
 産業課商工観光係 〒049-1392 北海道松前郡福島町字福島820 TEL:0139-47-3004  FAX:0139-47-4504