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歴史・民話・昔の写真歴史函館戦争
~目次~
<福島での戦闘にいたるまで~戦闘前の福島と海陸応酬>

<知内夜襲と福島での攻防>
<御用火事と吉岡峠>
<松前城落城と脱走軍活下の松前・福島(1)>
<松前城落城と脱走軍活下の松前・福島(2)~脱走軍活下の松前・福島(3)>
<福島・木古内の戦いと箱館戦争終結>
余談:毛利秀吉と法界寺
◆御用火事と吉岡峠◆

勢いに乗った旧幕軍は、その日のうちに吉岡峠までの間を一気に制圧してしまった。

この勢いで、松前軍本陣に用いていた法界寺は焼失し、勘太郎、善四郎、嘉吉などの家が

類焼した。シトマイ崎、白符(しらふ)村は全焼、宮歌村は別条なく、吉岡村はほとんど焼失したが、

社寺はどうやら残った。礼髭(れしげ)村は残らず焼失したという(以上=笹井武麗日記)

ここで礼髭村(松浦)は全焼したことになっているのですが、実はただ一軒だけ焼かれなかった家が

あったと記録に残っています。

元々、この火事は、敗走中の松前軍が敵に宿舎等の便宜を与えないための御用火事(ごようかじ)でした。

松前軍とはいえ、平民をかり集めの士が殆どで、火つけ役は主に彼ら雑兵の仕事であり、

家の大黒柱に柴などを巻きこみ、火を放ったといいます。

吉岡峠の頂上には、松前藩の台場があり、礼髭(れしげ)の村と海を眼下に臨んでいました。

この砲台を整備する際、足指の凍傷にかかる者が続出し、人夫たちは大変苦労したと言います。

こうして、構築した砲台だったのですが、試し打ちをやったところ、砲丸は渚の川尻付近、

コシヤマの岩の横にどぼんと落ちてしまいました。

沖を通過する旧幕艦隊を攻撃するものと、張り切って働いていた礼髭(れしげ)の一同はさすがにがっかり

したとのことでした。

一方、福島を奪取(だっしゅ)した旧幕軍・土方隊は礼髭(れしげ)の沢を登り、吉岡峠へ集結して、福山城攻撃の機を

うかがっていました。

※シトマイ崎・・・現在の白符地区にあった地名。

※礼髭村・・・現在の吉野地区から松浦地区。ここでは松浦地区のことだと思われる。

参考文献:福島町史 通説編(上) 第二巻
広報 ふくしま より
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