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歴史・民話・昔の写真歴史函館戦争
~目次~
<福島での戦闘にいたるまで~戦闘前の福島と海陸応酬>

<知内夜襲と福島での攻防>
<御用火事と吉岡峠>
<松前城落城と脱走軍活下の松前・福島(1)>
<松前城落城と脱走軍活下の松前・福島(2)~脱走軍活下の松前・福島(3)>
<福島・木古内の戦いと箱館戦争終結>
余談:毛利秀吉と法界寺
◆松前城落城と脱走軍活下の松前・福島(2)◆

 
一方五稜郭(ごりょうかく)を本拠とし、蝦夷地南部(えぞちなんぶ)を制圧した徳川脱走軍は、12月15日、101発の祝砲を放って

蝦夷地平定(えぞちへいてい)の祝賀式を挙げ、米国の例にならって士官以上の投票によって、徳川家の一族を迎えて

君主とするまでの間、首長の公選をすることになりました。

その結果、榎本釜次郎武揚(えのもとかまじろうたけあき)が最高点156票を獲得しました。

榎本の署名を見ると蝦夷地総裁(そうさい)としているので、脱走軍中心の独立国構想を持っていたと思われますが、

副総裁には松平太郎を充て、五稜郭を本城とし、慶応の年号を継承することとしました。

松前藩主徳広公は雲石(熊石)村まで落ちのび、11月19日、一族及び正議隊70人と共に津軽へ渡り、津軽藩の

庇護を受けることになりました。

雲石を出航するにあたって、折しもの荒天から、海上の安全を祈祷(きとう)することになり、隊員として加わっていた神主、

白鳥主殿、大野石見、佐々木斉宮、富山刑部らがこれらを勤めました。

藩主が津軽へ、無事落着したことを確かめた後、藩兵達は武装を解いて旧幕軍に降伏しました。

松前藩兵として働いた図功隊の神主一統は、各地に分散して百姓になるつもりでいたのですが、

旧幕軍から「これまで通り各神社を守り、家名を相続するよう」に申しつけられたので、それにしたがうことにしました。

他の藩兵たちも、間もなく自由の行動を許されたのでありました。


「しかしながら、まことに以って困り入った時節に候。身の毛もよだつほど恐ろしく、敵国に住居いおり候。」(笹井日記)

(「しかし、その時はとても困ってしまいました。身の毛がよだつほど恐ろしく、まるで敵の国に住んでいるかのようでした。」)

◆脱走軍活下の松前・福島(3)◆

こうして暮れた明治元年であったが、旧幕軍の占領下にあって福島をはじめ各村落の住民は不安な日々を過ごしました。

明けて明治2年、正月とはいっても、人々は門松も立てず、御神楽も社内でひっそり行われたきりで、

門払いもありませんでした。旧幕軍上層部では、住民の歓心を買うために、色々な施策を講じたのですが、現地では必ずしも

好評は得られず、兵士の風紀の取締りにも十分目が届かなかったのでした。

そんな中、福島村でとある事件が起こりました。

福島村の美濃屋平兵衛の息子市太郎と金屋利吉の娘とは、かつて婚約の間柄でした。

この娘に幕軍の一人が目をつけ、何かとチョッカイを出し始めたのが事の起こりで、市太郎は

娘の髪をむりやり切り取ってしまったのです。両家の親たちは大いにあわてましたが、怒ったのはなんと例の兵隊でした。

早速美濃屋に乗り込んだのですが、主人の平兵衛は箱館へ行って留守、(せがれ)(息子)の市太郎は外出中、

家には市太郎の母親ひとりでした。

この母親とどんなやりとりがあったかはわかりませんが、この兵隊は市太郎の代わりに母親を殺してしまったのです。

2月4日の夜でした。この騒ぎで名主達右衛門は年寄共の立会のもとに、幕軍の隊長諏訪常吉へ、

おそれながらと訴え出ました。諏訪常吉(すわつねよし)といえば、元会津藩進撃隊長であり、後に官軍反撃の際、

函館病院を守り、官軍の意を受け、軍医高松凌雲(たかまつりょううん)を代人に立てて、榎本総裁に恭順の勧告を

仲介したほどの人物です。

直ちに厳重な註議(ちゅうぎ)をし、例の兵士が捕らえられ、風紀粛正(ふうきしゅくせい)の見せしめに打首となりました。

処刑は2月5日の朝、橋向かいの浜で行われ、首は3日間さらしものにされました。

また諏訪大将は、金三百匁を市太郎に遣わしたので、市太郎はそれで母の葬式を出したといいます。

社務所は幕軍の宿舎にあてられ笹井武麗一家は治五衛門の家へ同居、仮住まいを余儀なくされた。

社務所には30人ほど泊まっていたが、兵士たちの荒々しい生活ぶりは目に余るものがあり、

家の柱5本が切られていた(笹井日記)

4月8日、丸山大明神祭礼。当時の別当、法界寺了然坊はつつがなく祭事を終え、ほっとしていた夕方の4時少し過ぎ、

海峡に艦影が現われました。蝦夷地奪回を目指す官軍の艦隊でした。


※松平太郎・・・幕末の幕臣。陸軍奉行並。

※正議隊・・・勤王派の人々で結成。藩政を掌握して新政府側に寝返った

※高松凌雲・・・幕末から明治期の医師。箱館戦争においては箱館病院を開院。

参考文献:福島町史 通説編(上) 第二巻
広報 ふくしま より
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