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歴史・民話・昔の写真歴史函館戦争
~目次~
<福島での戦闘にいたるまで~戦闘前の福島と海陸応酬>

<知内夜襲と福島での攻防>
<御用火事と吉岡峠>
<松前城落城と脱走軍活下の松前・福島(1)>
<松前城落城と脱走軍活下の松前・福島(2)~脱走軍活下の松前・福島(3)>
<福島・木古内の戦いと箱館戦争終結>
余談:毛利秀吉と法界寺
◆知内夜襲と福島での攻防◆

その日(明治元年11月1日)の夕方、福島の浜から一隻の鰯引船がすべるように沖へ

漕ぎ出されていました。船には武装した藩兵が45人、決死の眼差しで矢越岬の彼方へ向けていました。

船は暮色がたちこめた矢越岬をめぐり、小谷石村へひそかに接岸。

上陸した藩兵たちは、ただちに隊列を組み、暗くて寒い海岸を走るように知内村へ向かいました。

丁度この夜、知内村には旧幕軍土方歳三(ひじかたとしぞう)隊がこれまでの猛進撃の疲れを癒し、夜営の夢を結んでいたところでした。

午後8時、真冬の村境に集結した松前藩兵45人は一気に村内へ攻め込み、火を放ち関の声を挙げたのです。

悠然と宿舎についていた幕軍はふいをつかれて一時大混乱におちいりました。

しかし、何分にも多勢を整え、戦況を盛り返すに至ったのです。

もはや夜襲の功なしとみた松前藩兵は、あらかじめ打ち合わせてあった合図とともにさっと引き上げ、

再び船で福島へ逃げ帰ったといいます。

松前家中3人打死。徳川軍中40人ほど斬死。明治元年における官軍方の唯一の勝ち戦でした。

松前に向け進撃を続ける脱走軍と松前藩との戦闘は11月1日に行われた。この日の午後、脱走軍の軍艦蟠龍(ばんりゅう)

津軽藩旗を掲げて松前湾頭に姿を現しました。

城中では不審に思っている間に松前城を砲撃し、城中も砲撃したが、枝ヶ崎地先の筑島(ちくしま)砲台より打ち出す弾丸が

蟠龍にあたり、一発は士官室に、一発は艦頭の槍出しに当たったため、蟠龍は沖合に出、帰路福島の松前藩の

出張本陣を砲撃し、松前藩側もそれに呼応して神明社前の海岸砲台からの百匁4門、法界寺山より同砲2門で砲撃を

行っています。前述の駒木根篤兵衛(こまぎねあつべえ)の履歴書にあるように、蟠龍の砲撃の為、茶屋峠(ちゃやとうげ)の駒木根隊も応援のため、

福島に向かいましたが、蟠龍が箱館に帰航した後なので、夜中茶屋峠に引き返したといわれています。。

11月1日には、福島市街で戦闘が行われたと考えられているのですが、実際の戦闘は2日に

行われています。

翌11月2日、福島が戦場となりました。一ノ渡に先陣を布いていた松前藩の陣代蠣崎民部(かきざきみんぶ)は、

綱配野(つなはいの)(字千軒)の東端の崖地上に散兵壕(さんへいごう)を設けて、鍋毀坂(なべこわしざか)(御番坂)を登ってくる脱走軍と

正面きっての戦をすることになりました。しかし、松前藩兵は急な出撃でしかも着物に野袴、

陣羽織(じんばおり)に笠や鉢巻をしめて、草鞋(ぞうり)履きといういでたちで、それに大・小刀を差し、槍・鉄砲で

ある。見た目は勇ましいが、体の自由もきかないし、鉄砲は先込めの三ツバンドのゲーベル銃か、

はなはだしいのは火縄銃でした。

それに引き替え、脱走軍は尖兵となった額兵隊はズボンに詰襟服、それに表は黒、裏は赤のケットー

(毛布)の陣羽織、腰に白い(さらし)をしめ、大・小刀を差し、エンフィルド銃(螺旋(らせん)式、後底装)や最新式の

山砲・野砲を持ち機動力に富んでいました。また、この額兵隊は行進の際は黒ずくめの服装であるのに、

戦闘がはじまり陣羽織を裏返すと真赤な色に変わり、敵を威嚇するというように変身していたと言います。

福島町民の伝承の中に

「仙台藩の兵隊は、普段は黒ラシャの陣羽織を着ていたが、いざ戦闘になると

陣羽織を裏返すと猩々緋(しょうじょうひ)の赤いフランケットの陣羽織で、この色が恐ろしくて

松前藩が負けたんだ。」

という言い伝えがあるそうです。

一ノ渡の戦で敗れた藩兵は茶屋峠(ちゃやとうげ)の急造陣地でも破れ、峠を下ったヒョウマイから山崎間に大砲を備えて

防戦しましたが、兵力・火力・機動力の差はどうにもならず、三本木を経て福島村に後退しました。

福島村では、法界寺の本陣を中心に、吉田橋内側の大門、西側は神明社境内(けいだい)の砲台などで防御したのですが、

彰義隊(しょうぎたい)隊長渋沢誠一郎指揮して、額兵隊とともに吉田橋正面から、さらには北側渡河して三枚橋付近から、

また一隊は福島川河口から浜中を経て攻撃し、銃撃戦となりました。この時、湾内に回天、蟠龍の二艘が援護射撃をし、

神明社前の砲台からもこれを攻撃しましたが、蟠龍(ばんりゅう)の弾丸が神明社本殿の梁棟木(はりむなき)を打ち抜いたそうです。

しかし、歴戦で鍛えた徳川の大軍を前に、松前軍の敗勢は明らかでした。その中で、浮き足立った松前軍の中から、天野啓次郎

という武士がただ一人踏みとどまり、70人ばかりの敵の一団に向かって躍りこみ、全身に傷を受けながらも、14~15人を

斬った末、壮烈な打死をとげました。この話はすぐに広まり、後々まで武道の(ほま)れとされたそうです。

※軍艦蟠龍・・・旧幕府艦隊の軍艦。日本海軍初期の軍艦でもある。

※駒木根篤兵衛・・・松前藩砲術隊長。

※額兵隊・・・幕末期に仙台藩で結成された西洋式軍隊である。

※三本木・・・現在の三岳地区にあったとされる地名。

※三枚橋・・・現在の福島町役場付近。

※回天・・・幕末期の江戸幕府が所有していた軍艦の一つである。

参考文献:福島町史 通説編(上) 第二巻
広報 ふくしま より
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