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小さな大横綱「千代の富士」の闘魂の日々

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少年時代
 第58代横綱千代の富士は、昭和30年6月1日北海道松前郡福島町で、
秋元松夫、喜美江の長男として生まれ、小学校に上がるころから、
夏には朝から暗くなるまで海で泳ぎ、冬は裏山でスキーやソリで遊
び知らず知らずのうちに豊な大自然の中で足腰が鍛えられていった。
また、小学校5年生頃からは父親のイカ釣りの手伝いで、磯舟を漕
いだり荷の受け渡しなどの作業で自然と足腰の鍛錬になった。
 中学生からは、クラブ活動としてバスケット部に席を置くかたわ
ら、陸上、水泳の選手としても活躍し、地区郡下の陸上大会にいき
なり出場して走高跳で1.62m、三段跳で12.58mの大会新記録で優勝す
るなど、スポーツ万能選手としてその名は管内で一躍有名になった。
スカウト
 中学2年の秋「福島大神宮」の境内においてクラス対抗の相撲大会が
行なわれ、クラスの選手として選ばれ大将となり、チームは決勝戦に進出し
2対2の大将戦にもつれ込んだ。相手は学年で一番強いと評判の選手で、
先生はじめクラス全員は優勝をあきらめたが、取組みは両上手をつかみ
ゴボウ抜きに持ち上げ、相手を斜め後方に投げ捨て勝ってしまった。
あまりのがむしゃらな荒行に、生徒も見物人も度肝を抜かれ感嘆の声をあげた。

 その光景にニンマリした人がいる。第41代横綱千代の山を世に送り
出した若狭竜太郎先生だった。

 若狭先生は、定年退職後北海道各地を巡って「有望な子はいないか」と
スカウト的なことをやっていた。

 中学3年の夏休み突然全校放送で校長室に呼び出され、そこではじめて
若狭先生から相撲取りにならないかとスカウトされたが、
「相撲が好きでねいから」と断った。



chiyonofuji
飛行機
 九重親方が北海道巡業の先発として、
故郷福島町に力士一行より一足早く
現地入りした際、はじめて九重親方と会い
「一緒に飛行機に乗って、東京へ行かないか」と
九重親方から甘い勧誘があり、頭の中は
「飛行機に乗って・・」が、まるで呪文のごとく
駆け巡って、雲の上を歩いているような
気分になった。もう両親の反対も姉の反対
も何も聞こえなかった。
 こうして、「九重部屋入門」が事実上、
決まったといっていい。
「千代の富士」誕生
 記念すべきプロ第一戦は、体の大きい
玉泉に体力負けで黒星スタート、四日目
上背のある佐田岬に勝ってプロ1勝目、
通算1045勝のスタートとなった。

昭和46年1月場所の番付から九重親方の
現役時代の「千代の山」と兄弟子横綱
「北の富士」の二人の横綱のシコ名をとった
「千代の富士」となった。


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