新サイト用






のろし復元のイベント〜前半編














 

【実行委員会のメンバー】

 



江戸時代、松前藩の殿様が参勤交代の際に

津軽海峡を渡るとき「殿の船が出るぞ〜」

「船が着いたぞ〜」という合図に使われていた

当時のインターネットとでもいうべき“のろし”が

約2世紀ぶりに再現されたのである。

この歴史的でドラマチックな瞬間までのプロセス

を振り返ってみることにする。

昨年、札幌の北大図書館にある

「白神岬燈火台御取建御用留」をもとに解読、

中塚実行委員長は「来年6年ぶりにフェリーが

就航する。よし、この“のろし”を是非再現したい」

この思いを仲間とともに確認し、青森県三厩村の

工藤青年団長や関係機関の賛同を得た。


 

【さぁ、準備は万端だ!】



【渡島支庁長も激励に!】

 

のろし台の準備にあたっては、函館開発建設部

や福島漁港工事JVの島田建設などに

絶大な協力を得ることができた。

そして、当時、たき物の伐採と運搬に13日間を

費やしたという、薪、小柴(杉)、よもぎの準備

である。よもぎは1週間前から、役場周辺、

檜倉周辺の群生地を求めて、官民一体となって

刈り取り作業を行った。

さぁ、後は当日の天候を祈るばかりである。



6月30日、天候は晴れ、津軽半島の山々も

早朝は曇っていたものの、午後から竜飛の

ウィンドパークの白い塔が肉眼でも微かに見える

ようになってきた。「よ〜し、何とかいけるぞ〜」

そして、渡島支庁長も激励に来てくれた。




【安全祈願祭を前にパチリ!】



【成功を祈る安全祈願祭】

のろしの無事成功を祈る「安全祈願祭」が

実行委員会のメンバーでもある福島大神宮の

常磐井宮司さんによって執り行われた。

中塚実行委員長は、裃をまとい陣笠をかぶって

江戸時代を忍ぶいでたち。そして、巫女さんも登場

する気合いの入れようである。(巫女さんは、

漁港工事事務所の事務職員で花田さん)



右の写真で、黄色いつなぎを着ている人が

島田建設の大和田工事事務所長である。

のろし台の建設をはじめ、

高さ3.6mもあるのろし台の中に自ら入って、

薪や柴の状況を確認するなど、

大変、心強い協力をいただいた。




【実行委員長が御神酒をまく】