第三節 村治組織 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(三) 村方の年中行事 近世我が国の年中行事は農業を中心とした行事に暦法や日月が加味されて完成し、生活、文化等はこの年中行事のなかで行われてきた。しかし、農業を持たない近世の蝦夷地では、産業、生活の中心が漁業であったので、年中行事もおのずと漁業を中心としたものであった。しかも、漁業の中心が三月、四月のニシン漁業と、九月から十月にかけてのサケ漁業が中心であったので、総ての行事をこの主要漁業の時期をはずして組み立てられていた。 ニシン漁業の時期の三~四月は彼岸会、潅仏会、ひな祭等の行事があるが、これらの行事は繰り上げるか、繰り下げをして最盛期を避けた。彼岸会は二月の下旬に行い、潅仏会(四月八日)の花祭り、ひな祭は五月に繰り下げていた。二月の初午、節分は漁業を主体とした行事として位 置付けられていて、節分に行われる神社の鎮釜神楽で、煮え湯のあわ立によって漁業の豊凶を占い、漁家では豆撒の豆を炉中の灰に置いて、豆の焼け方によっても豊凶を占っていた。この二月には浜清女神楽を行ってニシン漁の豊漁と安全祈願をしてから着業し、三月に入ってからは網の準備も出来ると、海に響くような一切の音を出さず、時鐘も寺の鐘も鳴らさず、静かにニシンの群来(くき)るのを待つ。三月中旬に始まるこの漁は四月を中心とし、五月初旬まで行われ、一年の生活費を稼ぐ。ニシン製品が商人に渡され、その金が漁業者に渡るのが六月の末であるので、昨年来青田買いをしたものや店借を節季払をし、残った金は後の生活費に当てる。 七月から八月には海鼠曳(いりこ)や鮑(あわび)、若布(わかめ)や昆布、磯廻り漁業をしながら、各神社の祭例には報謝の念を込めて奉仕し、また、お盆の精霊迎には丁重に行う。また、十四日から二十日までは各村の広場や川原で毎夜盆踊があり、思い思いに仮装した男女が短い北国の夏を楽しむ。 九月に入ると蝦夷地の各河川に遡上するサケ漁業に出稼をする者、地場にあって福島川や澗内川にウライ(簗 (やな) )を築いたり、網をかけてサケ漁に当り、十一月に終って、この精算で節季払をして正月を迎えるという、正に漁業を通 しての一年の年中行事が組まれている。 今諸史料によってこの年中行事を見ると、次のとおりである。
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