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 『常盤井家系譜』や『福島村沿革』にはクジラケンという蝦夷の大将が居り、福島村にはじめて渡航して来た常盤井家の先祖と戦ったと記録している。天正元年(一五七三)常盤(磐)井家の先祖治部太輔武衡(たけひら)は、家臣浅井新太郎、袴田七右衞 門らと福島村に移住し、館古山に館を築いた。同三年館の沢に居を構えるクジラケンという蝦夷の大将が、仲間を引き連れて、度々村を襲って村民を苦しめるので、武衡はついに意を決してクジラケンと戦うこととなった。

 武衡は浅井、袴田らと共にクジラケンの館を攻撃し、奇計をめぐらして館を陥落させ、クジラケンは石の刀をもって対抗したが遂に討ち滅ぼされ、この館跡の森のなかにクジラケンの遺骸を葬ったといわれている。

 この森は字三岳の中心部右手の館の沢中に小高い丘があり、この場所がクジラ森と呼ばれており、また、福島大神宮は御神宝の中に鉈(なた)状をした重さ約四〇キログラムの石刀が残されているといわれ、これはクジラケンが使用したものと言われている。