第四節 村民の義務 | ||||||||||||||||||||||
(二) 寄合 各村の運営は、村民全戸が集合して行われる大寄合と、臨時に行われる寄合があり、これには各戸主の出席が義務付けられていた。大寄合は一月二十日から三十日までに行われ、その会場は名主宅で、福島村は村役場の完成した享和年間(一八〇一~三)以降はここが会場であった。一月の大寄合では先ず名主・年寄・百姓代の村方三役の決定と組合頭の任命で、文化四年(一八〇七)の福島村の例では、名主住吉達右衞 門一人、年寄永井勘九郎、笹井庄右衞門、花田伝七の三人、惣組頭(百姓代)永井勘右衞 門一人、組合頭甚兵衞、勘之丞、治右衞門、吉四郎、三太郎、喜兵衞、吉郎兵衞、兵吉、甚八、久太郎、六之丞の十一名であった。村役が決定した後、その年の一月から七月までの行事予定を決定する。この場合、一月から二月にかけての宗門改下書の作製と清書帳の作製、村の主要産業である漁業の操業のうち、鮑(あわび)、海鼠(いりこ)、若布、昆布等の採取等の予定日程も決める。さらに村の運営費用である村方見聞割の各戸負担額を定めるほか、神社維持および神官の生活維持等も協議し、この外荷物逓送等も決めている。 八月一日には第二回目の大寄合が行われ、夏祭から十二月までの行事を協議決定している。さらに名主が辞任した場合とか、巡見使下向とか、藩公用使役、公用金を課された場合等は不定期の寄合を開催して決定した。『宮歌村文書』のなかでも、
と知行主の松前八兵衞は村中で決定したことだから、これを承認したと述べている。他村では三役が決定した場合は、その旨を藩町奉行所在方掛に届け出、奉行の承認によって正式に就任した。 宮歌村の例をとれば、各村には次のような帳簿が備えられていた。
とあって、各村々は人馬継立、御用状継立、宗門改等が重要な運営事項であったことが分かる。 |