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 字松浦から白神岬にいたる間に福島町と松前町の境に滝の澗があり、澗の口には亀が甲羅を上げて泳ぐ姿をした亀岩がある。ここから白神神社のある明神岬との中間のところに見ねこの岬がある。

 昔は今のような道路がなく、断崖が連立して海に迫っているので、とても人の歩けるような処ではなかった。旅人達は松前から箱館へ通 じる松前街道を炭焼沢村(字白神、宮ノ沢)から、急な坂道をよじ登って、白神岳を左に迂回し、また急な下り坂で膝(ひざ)かぶが痛くなるのを押えながら、礼髭村(字吉野)に下るという状況であった。

 この辺の地理に詳しい折戸(字松浦)、礼髭(字吉野)の人達や、炭焼沢、荒谷村(共に松前町)の人達は、天気の良い波の静かな日は、白神山道の急峻な道を避け、白神岬の沿岸の道のない浜伝(づた)いに歩いた。しかし、この沿岸も崖が海に迫っていて、どうしても海を歩かなければならなかった。

 特に「見ねこの岬」はどうしても海を徒(か)ち渡らなければならなかった。無理して着物のまま歩けば、一張羅(いっちょうら)の着物が台なしになってしまう。そこでここを通 る人達は覚悟を決め、丸裸になって着物を頭の上に乗せる。特にご婦人方は腰巻を外すと、下着とて付けている訳でもなし、前も後も丸見えである。そこで、前後の人達は「見ねこ」(見ない)ということを不文律として、ちらちら見ながらこの岬の海を徒ち渡ったことから、誰言うとなく「見ねこの岬」の名が付いたと言われている。